王 衍(おう えん)は、十国前蜀の第2代(最後)の皇帝。一般には後主と称されている。

生涯

高祖王建の十一男として成都で生まれ、鄭王に封じられた。当初は次兄の王宗懿が立太子されていたが、母の徐賢妃が王建の寵愛を受けるに従い、王衍が太子に立てられた。

王建の崩御により帝位に即位するが、国政を宦官の宋光嗣らに任せ、自らは奢侈荒淫にふけり民心を失った。

咸康元年(925年)に後唐の荘宗李存勗によって攻撃を受け、成都は陥落、王衍は後唐軍に降り、前蜀は滅亡した。

滅亡後、王衍は通正公に封じられた。しかし長安に送られる途中、後に禍根となることを恐れた李存勗により、秦川駅で一族もろとも殺害された。死後、後唐の明宗李嗣源により順正公に追封された。

家族

妻妾

  • 皇后高氏
  • 貴妃金飛山、元妃韋氏(徐賢妃の兄弟の娘)、貴妃銭氏、順妃蘇氏、昭儀李舜弦、宮人李玉簫
  • 宮人劉氏

子女

  • 男子:王承祧、王承祀
    いずれも李存勗に処刑された

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