綿州(めんしゅう)は、中国にかつて存在した州。隋代から民国初年にかけて、現在の四川省綿陽市一帯に設置された。

魏晋南北朝時代

553年(廃帝2年)、西魏により設置された潼州を前身とする。

隋代

隋初には、潼州は3郡8県を管轄した。583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、潼州の属郡は廃止された。585年(開皇5年)、潼州は綿州と改称された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、綿州は金山郡と改称され、下部に7県を管轄した。隋代の行政区分に関しては下表を参照。

唐代

618年(武徳元年)、唐により金山郡は綿州と改められた。742年(天宝元年)、綿州は巴西郡と改称された。758年(乾元元年)、巴西郡は綿州の称にもどされた。綿州は剣南道に属し、巴西・涪城・昌明・魏城・羅江・神泉・塩泉・竜安・西昌の9県を管轄した。

宋代

宋のとき、綿州は成都府路に属し、巴西・彰明・魏城・羅江・塩泉の5県を管轄した。

元代

元のとき、綿州は潼川府に属し、彰明・羅江の2県を管轄した。

明代以降

1370年(洪武3年)、明により綿州は成都府に転属した。1377年(洪武10年)、綿州は綿県に降格した。1380年(洪武13年)、綿県は再び綿州に昇格した。綿州は彰明・羅江の2県を管轄した。

1727年(雍正5年)、清により綿州は直隷州に昇格した。綿州直隷州は四川省に属し、徳陽・安・綿竹・梓潼・羅江の5県を管轄した。

1912年、中華民国により綿州直隷州は廃止され、綿陽県と改められた。

脚注


圖說歷史上的綿州城水患,綿陽人必須知道! 每日頭條

丁寧にやさしく 境港「伯州綿」収穫最盛期47NEWS(よんななニュース)

綿州風情(組詩) 每日頭條

不要再問捷克跟奧地利哪個好玩了?捷克+奧地利才好玩! ETtoday 旅遊雲 ETtoday旅遊新聞(旅遊)

圖說歷史上的綿州城水患,綿陽人必須知道! 每日頭條