泰山郡(たいざん-ぐん)は、中国にかつて存在した郡。漢代から南北朝時代にかけて、現在の山東省中部に設置された。太山郡とも。

概要

秦の済北郡を前身とした。

紀元前178年(前漢の文帝2年)、劉興居が済北王となると、斉国から済北国が分離された。紀元前122年(元狩元年)、済北王が泰山付近の地を武帝に献上すると、泰山郡が置かれた。紀元前87年(後元2年)、済北王劉寛が自殺すると、済北国は廃止され、泰山郡に併合された。泰山郡は兗州に属し、奉高・博・山茌・盧・肥成・蛇丘・剛・柴・蓋・梁父・東平陽・南武陽・萊蕪・鉅平・嬴・牟・蒙陰・費・寧陽・乗丘・富陽・桃山・桃郷・式の24県を管轄した。前漢末に17万2086戸、72万6604人があった。

後漢のとき、泰山郡は奉高・博・鉅平・嬴・牟・南城・梁父・山茌・南武陽・萊蕪・蓋・費の12県を管轄した。

晋のとき、泰山郡は奉高・博・鉅平・嬴・牟・南城・梁父・山茌・南武陽・萊蕪・新泰の11県を管轄した。

南朝宋のとき、泰山郡は奉高・博・鉅平・嬴・牟・南城・梁父・武陽の8県を管轄した。

北魏のとき、泰山郡は奉高・博・鉅平・嬴・牟・梁父の6県を管轄した。

北斉のとき、泰山郡は東平郡と改称され、泰山郡の呼称は姿を消した。

脚注


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標高は1545㍍と中国では高い山でははないが、中国5大名山のひとつに数えられている。国連の世界文化遺産のも指定されている。

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